映画『あえかなる部屋 内藤礼と、光たち』公式サイト
監督:中村佑子
1977年東京生まれ。慶應義塾大学文学部哲学科卒。(株)哲学書房入社。人文系の編集者を経て、塚本晋也監督の現場へ。 『六月の蛇』『VITAL』の助監督。2004年、潟eレビマンユニオン参加。NHK、WOWOWのドキュメンタリー番組のディレクター、 プロデューサーを務める。代表作にNHKBSプレミアム「幻の東京計画 首都にあり得た3つの夢」(2015年ギャラクシー奨励賞 受賞)、NHKEテレ「建築は知っている ランドマークから見た戦後70年」等。 WOWOWの放映番組として制作した『はじまりの記憶 杉本博司』が国際エミー賞・アート部門にノミネート。同作を劇場公開 版として再編集し、2012年劇場公開を果たす。
社会に溢れるむき出しの感情

 ここ数年、街ですれ違う人々の話し声、電車で読む吊り広告のセンセーショナルな見出し、ネット上に氾濫する言葉を見ていて、「社会も、人の気持ちも荒れている」と感じることが増えました。見てはいけないと思うような人々のむき出しの感情や、目を覆いたくなるような乱暴な言葉があふれています。時をおなじくして、個人的な事情ですが、病の母を抱え、ある種の喪失感を抱いていました。

はじめての「豊島美術館―《母型》」- 胸の奥が開いていく感覚

その頃、はじめて豊島美術館の《母型》を訪れました。外から見るよりもずっと広い、白く美しい内部空間では、水が至るところから生まれています。やっとの思いで生まれた小さな水は、初々しく、いたいけに、そして健やかに流れ、ほかの水滴と一つになったり、また離れたりしながら時間をかけて中心にまでたどり着きます。一日を通して変化する光と水を眺めていると、胸の奥まった場所が開いていく感覚がありました。深く息を吸えたのです。存在がこのうえなく大切にあつかわれ、喜びあっているようでした。世界や自然そのものの大きさと、自分がつながって行く感覚があったのです。

  しかし一方、この《母型》は恐ろしい場所であるとも感じました。ここは「存在」のあり方、存在が「形」になる手前で揺さぶられる、激しくも大きな“問い”の場所なのだと。水は生まれ、そこに自分も存在していますが、なぜここに生まれ落とされたか理由を知らされていない。無から有への圧倒的な跳躍を、皆ひとしく飛び越えてきたはずなのに、私たちはその目的も理由も知らされていないのです。「生の無根拠性」という暗い縁に突き落とされるようで、《母型》にいるあいだ中、私の耳には轟音の波打つようなノイズが鳴っていました。

内藤礼さんは、私たち現代の人間が失った感覚を保存している- 強烈に「撮りたい」

 以前から内藤礼さんのことは存じ上げていました。展覧会中、美術館のそばに待機し、数時間ごとに作品のメンテナンスに入るほど、自らの作品世界の「聖性」を保とうとするひと。制作過程や展示風景を学芸員にさえ見せない「巫女」のようなひとだと風の噂で耳にしていました。震災後に作り始めたという背丈が5cmにも満たない小さな人形(ひとがた)「しんじるひと」。テーブルに並べられた、その《ひと》は津波で失われた方々のたましいのようであり、これから生まれてくる命が、海の向こうから私たちを見守っているようでもある。そのおごそかな存在感に、展覧会場でしばらく足が止まり動けなかったのを覚えています。私は感じていました。内藤礼は、私たち現代の人間が失った感覚を保存している人なのだと。

  そして、豊島美術館《母型》では、今度はその「存在のおごそかさ」という現象を、見ている他の人と共有します。水の流れる先には、うずくまりじっと水を見ている他の人がいます。一心に、そして(その姿は自分では見れないけれども)さっきまで水を見ていた自分とも重なる-- 。それは私たちが他人と一緒に生きる世界そのもののようでした。強烈に撮りたいと思いました。《母型》を、内藤礼さんを、そしてたぶんその先にある世界や私の存在のあり方を撮りたいと。内藤さんと初めてお会いしたとき、その想いを告白したと記憶しています。彼女は「映画をつくること」を許してくれました。

内藤礼が“撮れない” - カメラを向ける、ことの暴力

 取材は、内藤さんにとって特別な展示となった故郷・広島での展覧会からはじまりました。被爆ガラスに「しんじるひと」を寄り添わせたしずかで強靭な慰霊の空間。内藤さんは展示が終わると、まるで彼女のなかの大切な核を作品の方に移してしまったかのようで、カメラで覗くと内藤さんの存在の縁(ふち)は、空間にとけ込んでいきました。

  そして次の取材の日、内藤さんはカメラの前に立てなくなります。「カメラという暴力の前に立てないこと」は、「生まれることの奇跡」を生もうとする、彼女のアートの本質と深くつながっています。今回の映画は、私にとっても「カメラを向ける」ということがどういうことかを突きつけられる経験でもありました。私は信じたかったのかもしれません。カメラは現象の「切断」でしかないことは分かっています。しかしカメラを、ひそやかな、消えてなくなってしまいそうな世界の「全体」へと向けることも、またできるはずだと。内藤さんと出会ってから1年が経とうとしていました。内藤さんを撮らずして、なにを映画にするのか、私は苦しみました。悩んでいたある日、一人の女性が一心に歩いている姿を夢にみました。そして彼女はまるで自分の分身であるかのような他の女性たちに出会っていくのだと。

出会っていった5人の女性たち-「あえかなる部屋」というタイトル

 映画には、10代から70代まで5人の女性たちが登場します。一人一人と1年をかけて出会って行きました。内藤さんの展覧会で印象的な言葉を残した方、介護の現場で出会った女性、事故にあった私の大切な友人、世界への違和感を抱いた若い女性、大人になることを恐れているかのような鋭い目に光を放っていた少女。

  私はなぜ5人の女性をこの映画に登場させたのでしょうか。豊島美術館の《母型》に導かれた女性たちは、何を共有し、何に共振したのでしょうか。それは内藤さんが行っていることの本質に触れようとする行為であり、個人的な喪失の場所を埋める行為でもあったことに、映画を撮りながら気づいて行きました。

「あえかなる部屋」。このタイトルは女性たちの「内観」の象徴であり、自分の部屋から、内藤さんの部屋に通ったこと、そのプロセス全体でもあります。映画を見た人が帰っていく、自分の部屋のことでもあって欲しいと願いました。

そして最後に-映画に込めたメッセージ

内藤礼さんはご自分のアートのテーマを「地上に存在していることは、それ自体、祝福であるのか」といいます。

しかし、なぜその問いを、問わざるを得ないのか、ずっと考えていました。その設問を、問わざるを得ない切迫感が、私の中にもありました。私たちは、存在することだけで何かを与え、何かを受け取っている。なのに、それに気がつかず、虚の淵をさまよう人が数多くいます。

内藤さんを撮らずに映画をつくると決めたとき、私は内藤さんが差し出してくれる世界の光、その作品から受け取ってきたことを映像にしたいと思いました。生というものの無根拠性、その苦しみを乗りこえる能動的で、肯定的な声が、いま私たちに投げかけてくれるものがあると信じて。

ドキュメンタリーともフィクションともつかない、新しい映画の形に挑戦します。どうか皆さんの目で見届けてください。

中村 佑子